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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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大籠

                               岩手県殉教地、キリシタン関連地

東北に栄えた切支丹王国大籠


藤沢町大籠(おおかご)は、かつて全村がキリシタンに帰依したという切支丹王国だった地。

平野が少なく耕作地に恵まれなかったこの地に、製鉄の技術を伝えた千松大八郎・小八郎の兄弟がキリシタンで、技術を教えると同時に布教にも努めたことで村人全員がキリシタンになりました。

製鉄業は伊達藩にとっても欠くことのできない産業であったため、禁教令が出されてもしばらくの間は、鉱夫の中にキリシタンがいても詮索しなかったので、各地から逃れてきたキリシタンもまた住みつくようになりました。

「その数、3万人」という説もありますが、それは大げさな数字で、実際はもっと少なかったでしょうが、それでも多くのキリシタンがここで信仰を守り、生活をしていました。

大籠

殉教公園から眺めた大籠の集落


宣教により、村中の人が一人残らずキリシタンになったので、村に三つあった寺が全てすたれてなくなり、神社もなくなりました。

今でも大籠にはお寺がなく、お葬式をする際には他の村からお坊さんに来てもらうそうです。

大籠

公園から見下ろした大籠の村


1620年、それまでキリシタンを見て見ぬ振りをしていた伊達政宗は幕府の圧力に負け、禁教に向かいました。

そして将軍家光の時代に更に切支丹禁令が厳命されると、伊達藩はキリシタンを厳しく捜索するようになり、この地は殉教者の血で染まるようになりました。

大籠に残る殉教地


寛永16(1639)年、キリシタン信徒は36人、84人と2回に分けて処刑され、翌17(1940)年には94人、そして数年にわたり合計300人余りの人が殺されました。

処刑地は地蔵の辻を中心として、上野刑場、祭畑刑場、トキゾー沢刑場で、打ち首、磔、銃殺で、その上晒し首にして街道沿いで見せしめにしました。

その際に絵踏みを行った台転場、所成敗されたキリシタンの首を役人が確認する際に座った首実験石があります。また処刑を逃れた信徒が逃げ込んだとされる隠れ穴、信徒の首を晒した架場(ハシバ)首塚が残っています。

地蔵の辻
地蔵の辻
上野刑場
上野刑場
祭畑刑場
祭畑刑場
トキゾー沢刑場
トキゾー沢刑場
台転場
台転場
首実験石
首実験石
隠れ穴
隠れ穴
架場首塚
架場首塚

クルス館のキリスト像

クルス館のキリスト像


禁制が解かれ平和な時代になり、1952年大籠にはカトリック大籠教会が建てられ、平成になって建てられた大籠キリシタン殉教公園には世界中から多くの人々が訪れています。

民衆にキリスト教を伝えた千松兄弟の名は、地名となり、地域にダムが造られた折にはせんまつ湖というダム湖の名前として採用され、今も兄弟の偉業をたたえています。

「日本は無宗教の国」「日本人は西洋の宗教であるキリスト教を理解できない」という意見を聞くことがありますが、ここに来るとそれが間違った認識だとわかります。

この山間の小さな村で、自分が最高の価値をおくもののために命をかけた先祖たちのことを思うとき、日本人としてのプライドをもつことができ、また希望を抱くことができるのではないでしょうか。
愛が何よりも強いことを証明した地、それが大籠なのだと思います。



 現地への行き方
車で一関から1時間、仙台からは2時間半ほどかかります。バスもあるようですが、周辺の史跡を巡るには車が便利だと思います。住所は一関市藤沢町大籠です。



この地図はおおまかな位置を示すものなので、現地の案内板に従って所在地を確認してください。

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